恐怖と欲望のガールズライフ

えーえんと勉強中。基本的に読書や映画の記録。

この季節の最後の悲しさはあなただけのものじゃない

わたしはわたしの言葉のうちでしか思考できないし、思考のうちでしか言葉を紡げない

詩と幻視――ワンダーは捏造可能か【前編】|早稲田文学女性号刊行記念シンポジウム|webちくま(1/3)

恋愛感情が主に書かれてるんですけど、すべてが悲しいですね。何が悲しいって「少女」、あるいは「少女と言葉」というものにかけられた呪いや固定観念を完全に内面化していて、その内部の言葉でしか世界や違和感や思いを語ることができない。

わたしはわたしのことばで、「わたし」のために語りたい、と常々願ってきた。そして、欲をかけば、それが遠いどこかの知らない「わたし」と共鳴しあうことを。

やっぱり、創作の人間なので、状況や問題を分析して白黒つけたい、はっきりさせたい、という感じではないんです。違和感があったら、違和感をそのまま書くというのが私の闘い方であり、私の表現。

  

この季節の最後の悲しさはあなただけのものじゃない

3月末、毎週楽しみにしていた『anone』も『アンナチュラル』も『きみが心に棲みついた』(反発しつつも結局すべて観てしまった。『そして、晴れになる』と同じ著者だったのね。)あとあさイチも終わってしまい、「ロス」という心の状態をわかってしまった。わたしはこれらの映像たちに、毎週、毎日、元気をもらっていたのだ。そして4月に入ってからの絶不調。身体も心も春の訪れについていけていない。先週くらいから、本もぱったりと読まなくなってしまった。読んでも読んでも言葉が滑る。ものすごく眠ってしまって、休日もだらだらと布団で過ごすようになっていたのだけど、それはよくない、とどこかで聞いた。運動したほうがいいらしい。納得。歩くこと。できれば、大股で。

4月はのっけから重苦しかった。春なのに、心が息苦しい。愛の問題がまったく解決していない!わたしはいまでもすごく愛が欲しいし、なにも満たされていない。誰かに愛してほしいけど、その誰かを見つけられないし、誰かを自分から愛そうとしたこともない。そのきっかけは、どこにあるのか、誰かに教えてほしい。そう、わたしはいまでも誰かに教えてほしいと思っている。この不穏で不確定な時代、自分の力で生きていかなくてはいけないと、頭ではわかっているのに。思考空転。

ただ、もっと思い切りよく遊びたい、と心から願っているのもわたしなのだ。とびきりお気に入りの服を着て、気持ちのいい音楽を聴いて、鮮やかな色を爪に塗って、心に沁みわたる言葉を読みたい。遊びに関しては、誰の教えもいらない、と言い切れる。だってわたしは一人っ子で、なによりも一人遊びが得意だったのだから。ふふふん。ということで、4月は自分をぞんぶんに甘やかす1か月とします。1日1甘やかし。ブルースになりきらないわたしの悲しみまで、楽しみ尽くす。

※追記 『コンフィデンスマン』の長澤まさみはかわいいし、あさイチも新しいメンバーが意外と落ち着く。

 

明るい季節

重苦しい季節が長くは続かないことも経験上わかっていて、自分を甘やかしに甘やかした4月の終わりごろ、気温と風のここちよさにやっと身体が馴染んでいった気がする。明るい陽光、木と土の香り。自由への道が開けたような解放感。味覚が敏感になり、感情の色合いに彩度が増す。好きなこと、嫌いなこと、得意なこと、苦手なことがはっきりと見えてくる。世界の解像度が上がる、というのはこういうことか。醜いものにすっと顔をしかめやすくなる反面、美しいものはその輝きの粒一つひとつまで見えるよう。

結果、このところの劇的な変化といえば、詩が読めるようになったことだろう。読める、というのは適切ではなくて、どちらかというと、自分なりの読むペースがつかめた、ということ。なんとなくではあるけれども、飴を転がすように言葉を転がす感覚を知った。言葉を味わう。

 

本【既読・未読雑多】

まさか……と思ったが、1月末に列挙した本のうち、1冊も読了したものがない。まあ、そういうこともある。

 

松本卓也『享楽社会論』(人文書院

気になるのは、「女性の享楽」。ファルス享楽の負の連関をとめるものとして?要再読。

 

保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』(中央公論新社

小説家志望ではないけども、チチカカコヘのポップがよかったので、つい買ってしまった。小説とそれ以外の文章の境界線を適切に引いてくれて、すてき。気になった箇所を抜粋。

小説とは、”個”が立ち上がるものだということだ。べつな言い方をすれば、社会化されている人間のなかにある社会化されていない部分をいかに言語化するかということで、その社会化されていない部分は、普段の生活ではマイナスになったり、他人から怪訝な顔をされたりするもののことだけれど、小説には絶対に欠かせない。

 

横田創『落としもの』(書肆汽水域)

出版社の名前がいい。帯がなく装丁もシンプル。まだ読んでいないけれど、保坂和志の言う「社会化されていない部分」があますところ書かれている、という予感で。小説のことばは、やっぱりちょっとちがう。保坂和志が書いていて腑に落ちたのだけど、文学も哲学も、社会的でない個としての自分の見た世界を、自分のことばで表現しようとしている。それはおそらくとてもむずかしい行為だ。

 

川上未映子『ウィステリアと三人の女たち』

日本の出版フェミニズムを牽引している川上未映子の新作。あいかわらずの名久井直子装丁、乙女力抜群。

 

ジュリア・クリステヴァ著、池田和子訳『外国人――我らの内なるもの』(法政大学出版局

竹村和子『愛について――アイデンティティと欲望の政治学』(岩波書店

竹村和子を追っかけて。

 

笠原美智子ジェンダー写真論 1991-2017』(里山社)

新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社 

 

湯山玲子二村ヒトシ『日本人はもうセックスをしなくなるのかもしれない』

友人にもらって放っておいた本を読んでみる。おもしろい……セックスがしたくなる本。「日本の女性は依存先を探している」という言葉にドキッ。まさにいまの心持。

 

アントニオ・タブッキ著、須賀敦子訳『島とクジラと女についての断片』(河出書房文庫)

さらに名久井直子の装丁、堀江敏幸の解説という胸やけするかと思うほどしっくりくるメンツがそろっている。捕鯨の臨場感。

 

ウィリアム・マガイアー著、高山宏訳『ボーリンゲン――過去を集める冒険』(白水社

読むよ、読むのは読むけど、たぶん固有名詞がほとんどわからない。『オデオン通り――アドリエンヌ・モニエの書店』(河出書房新社)や『青鞜の冒険』(平凡社)を思い出すなど。

 

内沼晋太郎『本の逆襲』(朝日出版社

内沼晋太郎・綾女欣伸『本の未来を探す旅 ソウル』(朝日出版社

その名のとおり、本の未来を探しに。

 

ヴァレリーエステル・フランケル著、シカ・マッケンジー訳『世界を創る女神の物語――神話、伝説、アーキタイプに学ぶヒロインの旅』(フィルムアート社)

ちょっと文章が単調かしら。情緒がない。でも、わたしはこの本に、「わたしはわたしなりの道を歩んでいい」ということを教わった。旅は始まったばかり。

 

ヴィスワバ・シンボルスカ『終わりと始まり』(未知谷)

鴻鴻『新しい世界』(現代思潮社

 

テレビ

情熱大陸 門脇麦

いまの20歳前後の俳優たちは、「わからない」を楽しんでいる人が多い。情報に惑わされない強靭な身体。

 

映画

パク・チャヌク『お嬢さん』

かっわいい。百合のよさとBLのよさは似て非なるものですね。ゲイが異性愛に異議を唱える(もちろんそう捉えてしまう人がいる、というだけの話)だけなのに対して、レズは異性愛と男性社会そのものを根本的に意義を申し立てるため、そちらのほうが脅威となる、ということを笠原美智子に学ぶ。

 

ミック・ジャクソン否定と肯定

 ホロコースト否定と肯定をめぐる法廷サスペンス。アンドリュー・スコットがやばかっこいい。頭の切れる秀才、最高。

 

高橋洋霊的ボリシェヴィキ

当然だけど、ホラーだった!ホラーだった!怖かった!そして得も言われぬ快感と解放感。

 

かけらたち

〈鼎談〉見えないものを表す 赤坂憲雄×石内都×梯久美子岩波書店『図書』にて)

なんてホットな鼎談。

 

書く人/編集する人、そしてメディアが果たせる役割とは──編集者 若林恵×クラシコム 青木耕平対談 前編 – クラシコムジャーナル

「自分の読みたいものを書く」「『嫌い』を克服しない」「おじさんよ、未来ではなく、希望を語れ」と言っているそばから内田樹の新刊『人口減少社会の未来学』。

 

おっさんvs世界:なぜおっさんは世界から「敵」と見なされるのか | BUSINESS INSIDER JAPAN

若林恵さんの言葉には、いつもはっとさせられる。「くすぶっているおっさんをどうするか問題」、とりあえずわたしも「おっさんの適切な使い方」を探さなくては(言葉を選ぶならば、おじさまにどう教えてもらうか)。そして若林さんの切り替えしがすばらしい。「ある意味これって女性の問題でもあるんですよ」。その通り、おっさんをおっさんたらしめてきたのは同じ世代のおばさんなのであって、彼らをそうさせてきたのは、これまでの日本社会なのだ。西加奈子の新作『おまじない』も、読んでいないけど女の子をおっさんが救う話だと聞いた。わたしもどこかでおっさんを敵視していた。とくに団塊世代は正直嫌いだった。でも、彼らだっていつかは子どもだったのだ。

先日仕事の関係でわたし以外すべておっさんの飲み会に出た。みんな型通りのスーツを着て、1杯めにはまずビールでしょうと注文する姿にくらくらした。ここにはまだ昭和があるのか、と。しかし、もはやおっさんは巨大なマイノリティ化しつつある。駅に向かう道すがらタクシーの光やネオンのきらめきを背に並んで歩くスーツのおっさんは、高度経済成長や缶コーヒーのCMのかっこよさを彷彿とさせた。にもかかわらずおっさんの人気は急落に下降気味。おそらくその理由はおっさんが紋切型のことしか口にしないからであるが、それはおっさんに限らない。同じ服を着てどこかで聞いた言葉を垂れ流し、そのことに無頓着である愚鈍さはどこにでもある。その愚鈍さの象徴として、描かれがちなおっさん。なんて不幸なおっさん。