わたしたちには構造しかない?
ひさしぶりのビボウロク。
本【既読・未読雑多】
当然のように他人の目をくり抜こうとする荒唐無稽な人間が出てくるように、ラテンアメリカ文学は一筋縄では読めない。とはいえ、人間とはなにか、という問いがひっくり返る快感を覚える。わたしたちがわたしたちであるのは、自我や個性があるとか、社会人としてまっとうな生活を送っているとか、他人の痛みがわかって共感できるとか、そういうことではないのだ。ただ単に血が通っているという事実だけがある。なんといっても「ゴロツキ」感が最大の魅力……ということで、ラテンアメリカ文学に『百年の孤独』以来再度はまってしまった(ぜんぜん関係ないけど、このタイトル、原文では「孤独の百年」で、既出だとは思うけどこのひっくり返しに惚れ惚れする)。
を読む。フランス本国とカリブ海、アルジェリア、そしてインドシナなど植民地諸国との関係性でふり回される人間。さすが「人権」を生み出した国、「人権」の振り回し方えげつない。使い方を心得ている、という感じ。
そして当然のごとくハマるフランス、クレオール。
中村隆之『カリブ‐世界論――植民地主義に抗う複数の場所と歴史』(人文書院)
エドゥアール・グリッサン著、菅啓次郎訳『”関係”の詩学』(インスクリプト)
パトリック・シャモワゾー著、関口涼子/パトリック・オノレ訳『素晴らしきソリボ』(河出書房新社)
映画
ウズベキスタンの美しい街並み、全身から不安がにじみ出る前田敦子の所作。「なぜ危ないほうへ危ないほうへ行くの……!」と作中何度も叫びそうになった。旅慣れていないのにバスに乗る、バザールに行って満足に買い物もできない、双方向的なコミュニケーションができない。それが紛うことなき「普通の女の子」なのだろうな。映画に求めるものが違う人の映画を観てしまった、と思った。俳優陣はすばらしい。
・ジッロ・ポンテコルヴォ監督『アルジェの戦い』
ではわたしが映画に求めるものとはなにか?といえば、これだろうな。壮絶な映画、衝撃を受けた。カスバの夜に響く叫び。
きょうはすくなめに、これにて。